「抜け毛はなぜ汚い?」の問い

最近大学時代のノートを見返していたときに、「医療人類学」という授業が好きで、熱心に取り組んでいたことを思い出した。
当時興味深かった問いのひとつに、「抜け毛はなぜ汚い?」というものがあり、その説明をすることがありました。

「穢れ」論

文化人類学者メアリー・ダグラス(1921~2007)は、「穢れ(けがれ)」について以下のように説明をしています。

「穢れ」の感覚は、物が本来あるべきところではなく、境界を越えて存在するときに生じる。

これは、彼女の著書『汚穢と禁忌』における「穢れ」論です。

例1)
食卓の上の靴、洋服についた食べ物など
→用途とは別の場所にある物

例2)人体の境界部で開口部から出ていくもの
唾、乳、尿、大便、爪、汗、毛髪など
→体の内側にあるべきものが外側に出るとき
=「身体から離れた身体の一部は、日常から外れるもの=あるべきところにないもの」なので、「汚い」「不安」になるのだと思われる。

 

「抜け毛はなぜ汚い?」に対する回答

つまり、メアリー・ダグラスの「穢れ」論を用いて問いに答えると、本来「毛髪」として身体に属していたものが、身体から離れ「抜け毛」になることで、本来あるべきところではなく、境界を越えた存在になり、「汚い」という感覚になるというものでした。

境界を越えたもの、場違いなものは秩序を乱す可能性があるからこそ、タブー視され、穢れとみなされる。
 
 

こんな授業をふと思い出していたのは、この「穢れ」の感覚を最近感じていたからじゃないかと思います。
コロナ生活になって、マスクをするのが当たり前になった生活の中で、マスクをしていない人がいると、なんとなく「あ、あの人していない」って思ったり、実際に怒鳴っている人をみたり、、
私自身、予防ってこともだけど、人の目を気にしてとりあえず人がいなくてもマスクするってこともあります。
このコロナ禍で、マスクをしてない人=秩序を乱す人=「場違いな人」をタブー視してしまっていたかもしれません。

たぶん人が秩序を守ろうとするのは、そうすると安心だからだと思います。
秩序を守れば、場違いな人として警戒されないし、みんなが秩序を守れば安全が保証されるから。
だけどその人なりの秩序を守ろうとするが故に、タブー視が生まれたりして、そういうのが偏見とかに繋がっていくのかなぁって思うと色々と矛盾を感じます。
・・
ちょっと何をまとめたくなったのか良くわからなくなってしまいました。
とにかく、この「穢れ」論を思い出したというお話でした。(笑)