1984年4月9日、エルサレム郊外にあるデイル・ヤーシーンというパレスチナ人の村で、老若男女を問わず村人100人以上が集団虐殺されるという出来事が起きました(女子学生たちは殺される前にレイプされました)。イルグン・ツヴァイ・レウミとレヒというユダヤの民兵組織が行った虐殺です。イルグンのリーダーであるメナヘム・ベギンはのちにイスラエルの首相となり、エジプトのサダト大統領と和平条約を結んだことでノーベル平和賞を受賞することになる人物です。
ガザが封鎖されていることはメディアでも語られますが、16年以上にわたる完全封鎖がどういうものか、そこに生きている人間にとって、いったいどのような暴力なのかという事までは全く報道されていません。封鎖とはどういうものなのか、皆さんわかりますか?難しいのは、戦争のような直接的暴力であれば物理的な破壊を伴うので、その暴力性がすごくわかりやすい爆撃された建物がこんなに破壊された人間がこれだけ死んだ、こんなにむごたらしく殺されたということが一目でわかる。しかし、封鎖というのは構造的暴力です 実は戦争における直接的暴力と同じくらい致命的な暴力なのですが、爆撃などの直接的暴力と違って、それによって直接人が死ぬわけではありません。なので、その暴力性が単純には分からないのです。人間や物資の出入搬入搬出が著しく制限されている、経済基盤が破壊され、失業や貧困、栄養失調が起きている。その一つ一つは確かに辛いことではあるのだけれど、それが人間をこのような越境攻撃にまで駆り立てるような暴力であるとはなかなか分からない。
今日ここに立つにあたり、私の同級生を認識しなければいけません。
2024年の卒業生の中で今日卒業を許されなかった13人の学部生たちです。(ハーバード大学の最高学府は、当学部からの勧告を拒否し、ガザ戦争に対する学内抗議行動に参加したことで懲罰を受けている学部4年生13人に対し、学位授与を拒否するとの声明を発表していました。)
言論の自由と市民的不服従の権利に対する寛容さが欠如していることに深く失望しています。
1500人以上の学生が請願し、500人近いスタッフと教職員が声を上げ、圧倒的多数で前例のない制裁に反対の声をあげました。
アメリカ人として、そしてハーバードの卒業生として、私にとってキャンパスで起きていることは自由について、そして市民権と民主主義の原則を守ることにかかわる問題です。
多くの生徒が声を上げてきた。そして教職員も声をあげてきた。
ハーバードちゃんと私たちの声を聞こうとしている?
私たちは今、ガザでの出来事に関してコミュニティ内で激しい分裂と対立の瞬間にいます。
キャンパス内で痛み、そして動揺が見られますが、こうした瞬間こそ、「知らないことの力」が重要になります。
私たちは民族的に標的にされることはどういう事かを知らないかもしれません。暴力や死と直面することがどういった事か知らないかもしれません。しかし、私たちはそれを知る必要はありません。
連帯は私たちが何を知っているかに依存しているわけではないのです。知らないということは、一種の倫理的立場であり。それは共感、謙虚さ、そして学ぶ意欲のための空間を生み出します。
私は分からないという事を選びます。そうすることで質問し、聞く力を得られるのです。
不確実な瞬間において、すべての答えを持っていると仮定せずに対話に臨む時、重要な学びが生まれると信じています。
知らない人々の中に人間性を見出せるでしょうか?意見の異なる人々の痛みを感じることができるでしょうか?
卒業するにあたって、私たちが持っている知識はそれほど重要ではありません。
実際には、何を知らないか、知らない事ににどう対応するかが、今後私たちを際立たせるでしょう。
不確実性は不快ですが、その不快感の中に飛び込んで微妙な点に向き合う事をお勧めします。
2024年ハーバード大学首席の卒業式スピーチから和訳を一部抜粋
こひもと
みき+ゆか / 吉祥寺でKOHIMOTO Inc.というWebサイト制作の会社を力を合わせて営んでいます🤝IT企業出身のエンジニアとデザイナーで元同期。
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