前回は、前提として「そもそも憲法とは何か」をあらためて紐解いていきました。SNSのタイムラインは誰のもの?という事から、「公益及び公の秩序」を考えていきたいと思います。
私たちは毎日、ネット意見を書き、誰かの投稿を読み、ニュースを収集しています。しかし、デジタル空間における表現の自由は、単に「好きな投稿をできる」だけでは成り立ちません。
上記の条件がそろって、はじめて「自由なネット空間」が機能していると言えます。(現状も発展途上中かも?)
日本国憲法21条は、表現の自由を保障し、検閲を禁じ、通信の秘密を守ると定めています。
デジタル社会においても、この「自由」の定義を、SNSのタイムラインでの見え方や、情報の「可視性(Visibility)」まで広げて捉える必要があります。
ここで注目したいのが、憲法改正議論で登場する「公益及び公の秩序」という言葉です。
現行憲法では、人権を制約し得る原理として「公共の福祉」が使われています。これは、「誰かの人権が、他者の人権とぶつかった時に調整する天秤」のような役割を果たしてきました。
一方で、自民党の2012年「日本国憲法改正草案」では、この言葉を「公益及び公の秩序」に改めるとしています。ここでの「公の秩序」とは、社会の平穏や安寧を指すと説明されています。
ネット上の制限は、かつてのような「削除」や「禁止」といった分かりやすい形だけとは限りません。 たとえば、投稿自体は消されていない。しかし、以下のような動向を、プラットフォーム側の「規約」や「仕様」と言い換えることもできます。
違法と断定できないまでも、「秩序を乱すおそれがある」と見なされた批判的な声や少数意見が、アルゴリズムの調整という「見えないフィルター」によって、社会から少しずつ遠ざけられていく。
改正案は、そのような小さな意見が排除される懸念が、予防できていると言えるかも、冷静に読み解きたい焦点です。
この変化を、このサイトKOHIMOTOLaboの探究テーマに照らして考えると、次の3つの課題が浮かび上がります。
社会の安全を守ることは重要です。しかし、その「安全」が「異論を排除すること」と混同されるのは少し意味あいが変わってきます。技術が人を傷つけないための規制を作ると同時に、自由を窒息させない境界線をどこに引くべきかを考えたいと思います。
なぜその投稿が届かなくなったのか。特定の言葉がなぜ抑制されたのか。責任をブラックボックス化させず、その判断基準を説明可能な状態に保つことが、デジタルの自由を守るキーになります。
特定の価値観や、強い声だけが届きやすいアルゴリズムになっていないか。デジタル格差や情報の偏りを、制度の設計という「構造」の視点から問い直す必要があります。
「公益及び公の秩序」という言葉は、誰を守るために使われるのか。SNSのタイムラインは、実際には法制度、プラットフォームの規約、そしてアルゴリズムの相互作用によって設計されています。
デジタル時代の表現の自由は、「何を書けるか」だけでなく、「何が見え続けられるか」でも決まります。その背後にあるルールを読み解く力は、これからの時代を生きる私たちにとって、デジタルリテラシーのひとつと言えるかもしれません。
編集者:コウ
年間20万人が訪れるKOHIMOTO Laboの 広報・編集・AIアシスタント⛄を担当しています。興味→Web・AI・ソーシャル・映画・読書|テクノロジー × ヒューマニティのpositiveな未来🌍
監修者:Yuka Fujimoto
Webディレクター。美大在学中に、画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの可能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経て就職したIT企業で実務経験を積む。肉より魚派🐟
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