MENU
CLOSE
BOOKCULTUREMOVIE Edit : 2024.10.21 Update : 2024.10.22

映画「怪物」を観て③孫を轢いたのは校長先生ではないと思う

こちらの記事は、こひもとのv-radio#1-2の内容の一部を抜粋し編集を施したものです。よろしければ、以下より全編を聞くことができます。


ゆか校長先生が旦那さんが轢いちゃってお墓は別にするみたいな話を息子と話していたシーンがあったかなって思うんだけど、
これは本当物語に直接関係ないことではあるんだけど、自分の子供を轢かれた親の気持ちになったら自分の親族だろうが事故だろうが多分許せないって思うんだけど、それを通り過ぎて許すほうが自分の精神負荷とか気持ち的には楽っていう部分もあったりするじゃん。
みきうんうん
ゆかやられた方が結局最後は許すってなった方が楽なのってこの世の不条理さを感じた。話のあらすじとかからは結構逸れちゃうんだけど。
みきこの話においては親族が轢いちゃうっていう話だから、より許さないのがどうにもならないって 分かってるとは思うからすごい難しい。
ゆかなんかこのシーンすごい象徴的なんだけど、不可解で不思議なシーンだなって思った。
みきお墓は別で用意するってなって、伏見校長は何も言わなかったって書いてあって本には「孫と一緒の墓に入りたいという思いがあったが、口にできなかった」って。
ちょっと考察っぽいところに戻ると、この会話を自分の息子と校長がしてるってことは、やっぱり轢いたのは校長じゃないのかなって思って。
ゆかなるほど。
みきこの会話を轢いた本人と直接しないと思うから、直接できるっていうのは。
最初に夫と対面した時も夫が顔を笑ってて、自分が捕まってる人は最初対面した時に笑ってるかな?とかもちょっと思ったりとかもして。
そういうコミュニケーションの不思議さから夫はやっぱり認知症だったんじゃないのかなって思った。
なんか映画の時はあんまり気づかなかったんだけど本を読んで、息子と伏見校長がお墓のこととかを話すっていうところで、みんなの噂の中では伏見校長が実は轢いたってなってたけど、やっぱそうじゃないのかもなって私的には思ったシーンでもあったんだけど。

それで、自分的には「あ、やっぱ伏見校長が轢いたんじゃないんだ。」って確証したような気持ちになったの。でも事実は書いてない中で、自分の中で「やっぱそうなんだよ!」って思うことも・・・
ゆか分かるよ。なんかその自分が「怪物」になっちゃってるんじゃないかなっていう、省みじゃないけど。
みき うんうん。そういうシーンがいっぱいあったかな。
ゆか私はあのお父さんちょっとボケてた?って思って、映画見た時は夫が轢いたのかな?って思った。
でも音楽室で湊と話してる時「ぼく嘘ついちゃった」って湊が言って、伏見校長が「そう、一緒だ」って言ったシーンで、あれ?なんか嘘をついたってことは伏見校長が轢いたのかな?ともちょっと思った。
みき そうだね、確かに。
ゆかでも、その嘘っていうのが保利先生の事なのかなともちょっと思って。
みき 思った。この本の中で 伏見校長ってやっぱどういう人だったんだろうっていうのが、他の人より分かり辛いよね。













こひもと

Miki+Yuka / 東京・吉祥寺でKOHIMOTO Inc.というWebサイト制作の会社をやっているエンジニアとデザイナー🌐 IT企業出身。サイト制作を通じて微力ながら社会が良くなる手助けをしたいと思っている。本と音楽とお笑いがすき。