【Illustrator・Ai】イラレの手書きクレヨン風の自作ブラシで、ひよこのキャラクターを作ってみた。
こんばんは。
ある本を読んで考えてみたことがあるのでまとめさせていただきます。
私は美大を卒業後IT企業でデザイナーとしてWebサイトを作り、現在KOHIMOTOとして活動しています。
まず、デザインのことを話す前に、〝「売る」から、「売れる」へ。 水野学のブランディングデザイン講義"という本から、「センスがいいということ」について引用させてください。
世の中で語られるときには、だいたいセンスには「いい」「わるい」とゆう言葉がついてまわりますよね。「きみはセンスがいいね」とか、「あいつ、服のセンス、わるいよな」とか。
ぼくはまずここに疑問を感じました。センスって「いい」「わるい」で語れるものなんだろうか、と。
たとえば、あるミュージシャンの音楽を、ぼくの友だちは大好きだという。
でも、ぼくはそのミュージシャンの音楽をそんなにいいとは思っていない。
こうゆうときそのミュージシャンの音楽はセンスが「いい」のか「わるい」のか。
きっとぼくのその友だちに訊けば、センスが「いい」と答えるでしょう。でも、ぼくはというと、センスが「わるい」と答える。
つまり、客観的に「いい」「わるい」と決められるものじゃない。センスは「いい」「わるい」で語れるものじゃないんです。
じゃあ、センスって、いったいなんなのか。
不思議に思って、さらにぼくは考えてみました。そうやってたどり着いたのが、つぎの結論です。「センスとは、集積した知識をもとに最適化する能力である」
どういうことかというと、ぼくらはなにかを選んだり、決めたりするときに、生まれもった才能を頼りにしているわけじゃなく、自分がそれまで蓄積してきた知識をもとに、最適化をはかっているんじゃないか、ということ。
上には、成長する中で目にする情報から視覚的にセンスが「いい」「わるい」を徐々に判断するようになっていく、という事が記されています。
そうして思い返してみると、子供時代、親の反対を押し切って着ていた、めちゃイケてると思って着ていた服は、一般的な大人から見ると、センスわるっ!みたいな服だったりします。
どうやら様々な経験をして大人になった私たちは、どういうものが美しいか、という事をたくさんの情報(Simple is best の概念など)から最適化する能力を身につけたようです。
その話を踏まえて極端に言うと、センスのいい=デザインができる=たくさんの知識を身に着け視覚的なコミュニケーションに長けている、という事になります。
つまり、デザインをするひとは、情報が人からどうみえるか(人からどう見られたいか、人に生まれたからには、人に好かれたい。ではどういうものが人に好まれるのか、など。)いろんな立場にたって考えたり、経験したり、知識を身に着け試行錯誤していくことが必要になります。
デザインについて(2)へ続く
Yuka Fujimoto
美大にいた頃に画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの機能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経てIT企業へ就職後、そこで出会った小日向とKOHIMOTOを立ち上げる。ズーキーパーが得意。
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