人とテクノロジーの、やさしい未来を考える🌎

→ このサイトについて

人とテクノロジーの、やさしい未来を考える🌎

→ このサイトについて

MENU
CLOSE
手記 Edit : 2026.02.15 Update : 2026.02.15
なぜ「自由に選べること」が、人と人との共存にとって大切なのか。

なぜ「自由に選べること」が、人と人との共存にとって大切なのか。

宗教においても、政治においても、ある程度「自由に選べること」は大切なのでは?と、当たり前っちゃ当たり前なことを、今回の選挙を機に改めて考えてみたので、自分のメモとして残しておきたいと思います。


平和は「対立がない状態」ではない

平和とは、対立がない状態だと思われがちです。でもそれは、少し理想的に過ぎるのかもしれません。
対立は、どんな人間関係にも自然に生まれます。それは、友達や家庭、職場でも、小さな関係値でも起きる。なぜなら価値観は違うし、選び方は違うから。

だから平和の本質は、対立をなくすことではなく、対立を処理できる状態にある事なのではないかと思います。

そしてそのために必要なのが、個人が自由に選べることなんじゃないかなと思いました。


違いが起きるのは自然なこと

親や恋人、友人と話していて、「あれ、ちょっと考え方が違うな」と感じる瞬間は誰にでもあると思います。

そのとき、「それは間違っている」と感情的に否定してしまうと、対話はいつの間にか説得や論破になってしまいます。

でも、相手の背景を想像したり、「なぜそう考えるのか」を聞いてみると、気持ちを理解出来たり、目的は同じで、プロセスが違うだけという事もあるかもしれません。


対立を処理するには「選べる余地」がいる

では、対立をうまく処理するために何が必要なのか。ここで重要になるのが、選べる余地です。

選択肢があると、対立は分離できます。

例えば、唐揚げにレモンをかけたい人とかけたくない人がいる。
ここで「酸っぱいの好きだからかけたい」「べちゃべちゃするから嫌だ」と自分の意見を押し通そうとすると対立になる。
でも本来、各々自分のお皿に分けてから、好きにすれば、解決できるはず。

これは、対立を分断に進めないための選択の設計になります。


制度設計と「選べること」

この発想は、政治や制度の設計にもよく現れます。政治は、個人の選択を一律に決めやすい領域だからです。

だからこそ、「各自が選べる」形を残せるかどうかで、衝突のコストは大きく変わります。

たとえば夫婦別姓だったら、希望する人は選べて、望まない人は現状を維持できる設計であれば、価値観の違いは、本来対立ではなく共存になるはずです。

誰かの選択の余地を奪った(不幸)の上で成り立つ幸福は、本質的ではなく歪みを生みやすいからです。
だから個人的には、できるだけ「個人が選べる余白」を残すことが大切だと思います。


民主主義と個人の選択

ここで関わってくるのが、(知らなかったのですが、、、)リベラル・デモクラシーの考え方らしいです。

多数派の意思を反映できる強さがある一方で、放っておくと多数派が少数派を封じ込める危うさも持ちます。
リベラル・デモクラシーは、多数の力をそのままにせず、権利や制度によって制限し、個人の自由を守ろうとする。言い換えると、投票で決めるだけじゃなく、「勝った側が何でもできる」状態を避けるためのブレーキを組み込む事みたいです。


仏教の「身口意」の教え

仏教に「身口意(しんくい)」という考え方があります。
人の行いは、身体・言葉・心の3つの順序で体現されるという教えです。

心(意)が整えば、言葉(口)が整い、行動(身)が整う。逆に、心が荒れていれば、言葉や行動は一致せず自身を苦しめる。

自由に選べる社会であることは重要です。
けれど同時に、「どんな心から選んでいるか」もまた、重要だと思います。

👄身口意(しんくい)
「決める」=意・口・身が一致
「我慢」=心と行動が分裂

仏教が好きだなと思うのは、ただ「自由にしなさい」と言うのではなく、慈悲を前提にしながらも、最終的な選択は行為者に委ねるところです。それが個人的にはとても健全に感じます。


対話が成立するのは、相手が「選べる状態」にいるとき

平和が成立するとしたら、みんなが同じになる事ではなく、意見が違うままでも、他者と生きていける中立的な手触りではないのかなと思います。
自由に選べる社会では、対立が起きても、それがすぐに衝突や分断に変わりにくい。

対話が成立するのは、相手が選べる状態にいるときだからです。
相手が選べない対話は、いつの間にか圧力に変わってしまいます。

「こうすべき」「これが正しい」と言うこと自体は否定されるものではありません。
けれど、退出も拒否も許されていない場では、それは合意とは呼びにくい。

衝突をなくすのではなく、衝突を処理できる設計を整えること。

その前提として、「自由に選べること」を守る。それが、思っている以上に大事になのかもしれないなぁと思いました。


編集者:Yuka Fujimoto

Webディレクター。美大在学中に、画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの可能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経て就職したIT企業で実務経験を積む。肉より魚派🐟