YouTubeでたまたま見かけた一本の動画が、哲学勉強中の私に刺さったのですが、タイトルはいわゆるスピ寄り。
それを完全否定するわけではないけど、動画に出てきたのは、ゲーテ→東洋哲学→量子物理→統合理論…と、思想や理論が一本の線でつながっていくような図で、ふと立ち止まりました。「世界がつながって見える。しかも頭良さそうでめっちゃ真理っぽいぞ。」と。
でも同時に、自分の中の格言「迷いの中に倫理がある(byチ。)」を思い出し、ちょっと警戒しました。
でも、哲学にも正解は無いし、現状の事実だけが知りたいわけでも無くて不確かなものを不確かだと認識しながら、ある意味物語的に世界の輪郭を掴む視点が欲しいと思ったので、AIとの壁打ちがかなり役に立ちました。
スピリチュアルが好かれる理由は、たぶん、世界をバラバラにせず、「ひとつの流れ」として見せてくれるからです。
ただ、そこで一つだけ気をつけたいのが、線の引き方。
図に線が引かれていると、私たちは無意識に「関係が確定している」と感じてしまう。
でも実際には、そこに省略があったり、描いた人の見方が入っていたりする。
私が特に引っかかったのは、形態形成場という立証されているものは自然現象の概念から、人の感情とかに発展させた「場(フィールド)」という言葉でした。
同じ単語でも、話している「層」が違うことがある。
この混線が起きると、「科学っぽいから確かそう」と錯覚しやすいんじゃないかなーと思いました。
もうひとつ、今回の学びとして残ったのがここです。
スピ寄りの情報に限らずですが、それっぽい言葉で「確からしさ」を演出することは、わりと簡単にできます。
そして厄介なのは、それが商品(セミナー、講座、オンラインサロン)とセットになるとき。
もちろん、すべてが悪いわけではないし、学びにお金を払うのは普通のことです。
でも、もし内容が「検証の棚」に乗っていないのに、
みたいに断定が強くなっていたら、一段ギアを上げて慎重になった方が良いとおもいました。
ここから先は、私がAIを使いながらやってみて、効いた方法です。
スピ寄りコンテンツを不確かなまま物語的に捉えるなら、まずはこれを持つとブレにくいと思います。
「観察するとこう感じる」「この見方だと救われる」
体験は体験として大事にしていいと思います。私たちは、現代社会で自分の感じ方を蔑ろにしすぎているし、体験から理解を始めるので。
「生成」「縁起」「間柄」「場」みたいな言葉で輪郭を描く。
これは理解の道具として有効だと思います。ただし、比喩やモデルの可能性がある。
「測れる?」「反例が出たらどうなる?」
ここが科学の領域。スピ寄りの話は、この部分が薄くなりやすい。
ポイントは、この3つを混ぜないこと。
混ぜると、分かった気持ちよさだけが残って、判断が雑になる感じがする。
AIに「これって本当?」と聞くと、それっぽい説明が返ってきます。
でも私が欲しいのは、断定じゃなくて整理でした。
なのでAIには、真偽判定ではなく、情報の仕分けを頼みました。
| ステップ | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 1. | 主張を一文で要約する | 「推測を入れずに一文で要約して」 |
| 2. | 主観・モデル・検証に分解する | 「どの要素かを分類して」 |
| 3. | 用語の意味層を確認する | 「形態形成場は、検証可能な主張としてどこまで言える?観測や実験で確かめる形にすると、どう定義される?」 |
| 4. | 反例を考える | 「間違っていたら何が起きる?」 |
「世界の真理を知りたい」これは人間の根本的な欲求だと思います。
ただ、私は「それを完全に把握すること」は難しい、と感じています。
なぜなら、世界そのものが変動的で、同じ出来事でも条件や視点が変われば意味が変わるから。
結局のところ、私たちが「真理っぽい」と呼んでいるものも、多くは「どう感じたか/何を信じるか」という主観に支えられています。
そして、その主観すらも日々揺れるし簡単に書き換わる。だからこそ、主観を頼りにしつつ、同時にそれを疑う姿勢が必要だと思うんです。
つかめそうでつかめない。気持ち悪いですよね。
でも、その不確かさを受け入れている状態で、その感覚のまま観察を続ける事が、健全なんじゃないかな~と思います。
編集者:Yuka Fujimoto
Webディレクター / デザイナー。美大在学中に、画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの可能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経て就職したIT企業で実務経験を積む。肉より魚派🐟
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