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音楽 Edit : 2025.09.26 Update : 2025.10.15
椎名林檎「ありあまる富」の富とは何か?歌詞考察

椎名林檎「ありあまる富」の富とは何か?歌詞考察

椎名林檎の「ありあまる富」は「富」とは何か?を問い直し、その本質を見出している良曲です。

最近になって、この曲が「マジでそうじゃん・・・」と身に染みたので、自分なりに残しておきたいなと思ったのでメモします。


「富」とは何か?

一般的に「富」と聞くと、多くの人は金銭や物質的な豊かさを連想しがちです。しかし、この曲ではそのような外的な富ではなく、人間の内面にあるものを示しています。
個人の見解になりますが、それは個人誰もが持てるしあわせを感じられる「心」ではないでしょうか。

僕らが手にしている 富は見えないよ
彼らは奪えないし 壊すこともない
世界はただ妬むばっかり

なぜ「心」が富なのか

もしも彼らが君の 何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈

物質の富は限りがある:所有や比較の世界では、常に不足感や競争が生まれる。
心の富は限りがない:感謝、愛情、幸せを感じる力は、逆にシェアすればするほど増えていく

それは、経済の浮き沈みにも他者の評価にも左右されず、自分自身の在り方に根ざすものです。


「ありあまる富」というタイトルの意味

すべて君のもの 笑顔を見せて

本当の富はすでに誰もが「ありあまるほど」所有している。だから笑って、って。誰もがその存在に気づけるから、って。希望が込められていて、めっちゃ優しい歌詞じゃないですか。


「価値」と「生命」の不可分性

そのありあまる富は、命があってこそ個人が感じられます。


何故なら価値は生命に従って付いている

ここでも話してたのですが、人の価値は他人がつけるものではなく、消費できるとしたら自分自身しかいないと常々思います。

テストの点数、会社の評価、SNSでもなく。そう思っても体感できるまでに経験や時間がかかるかもしれませんが(私はかかりましたw)自分の価値を一生をかけて、消費していくのが自分の人生だよな、って最近よく思います。

この歌詞に重ねると、生命に付随する価値は「外部に証明されるもの」ではなく「生きる過程で自分自身が使い切っていく資源」のようにも捉えられます。

例えば人生を膨大な時間と捉える事も可能です。そうしたその時間を自分がどう消費するかも自分が決める。——これも「生命に従う価値」の実感です。


「富」を認識すると

現代社会では「価値」はしばしば交換可能なものに矮小化されます。
しかしこの曲では、価値は最初から生に付随していると歌うことで、「市場が価値を決める」というのは、社会的幻想だと提示しています。
これは「人間の尊厳は成果や生産性に基づくものではない」という人権的な思想にも通じているのではないでしょうか。


価値を認識したら視点が変わる

命の価値は、物質的な限りの面で言うと「持ち続ける資産」ではなく「燃やすためにある燃料」とは解釈できます。

「価値の消費」は偶然に任せても起こります。時間を過ごし、体力を使い、感情を動かせば自然に減っていく。
私たちが私たち自身の「価値を認識する」とは、その消費を意識的に選ぶことにあると思います。

自分の心が向く先は何か。
何のために命を消費するか。
世界とどんな関り方をするか。

やることがまだはっきり決まっていなくても「自分は世界の中でどんなふうに人と関わっていきたいか」とか、「どんな言葉を誰かに届けたいか」みたいな、小さな思いや行動を、自分の人生と照らし合わせながら選んでいく事ができるんじゃないかなと思います。

人として生まれてきた以上、まったく他者と関わらずに生きていくのは難しくて、だからこそ、その関わりの中で見えてくるものも沢山ある気がします。
そして、選んだものの違いが、それぞれの「個性」として形になっていくのかもしれません。

「個性を尊重する」って、自分の中にある「富」に気づき、自分なりの美学や生きる意味を大切にすること、そしてお互いの違いを認め合えることでもあるのかな~、と思いました。

「自分を幸せにしなければ、他人を幸せにはできない」とよく言われますが、
その言葉をこの曲に合わせて解釈すると、まずは自分の「ありあまる富」を認識することで、他人を尊重する事にも繋がるんじゃないかな、と感じました。

編集者:Yuka Fujimoto

Webディレクター / デザイナー。美大在学中に、画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの可能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経て就職したIT企業で実務経験を積む。肉より魚派🐟