椎名林檎の「ありあまる富」は「富」とは何か?を問い直し、その本質を見出している良曲です。
最近になって、この曲が「マジでそうじゃん・・・」と身に染みたので、自分なりに残しておきたいなと思ったのでメモします。
一般的に「富」と聞くと、多くの人は金銭や物質的な豊かさを連想しがちです。しかし、この曲ではそのような外的な富ではなく、人間の内面にあるものを示しています。
個人の見解になりますが、それは個人誰もが持てるしあわせを感じられる「心」ではないでしょうか。
僕らが手にしている 富は見えないよ
彼らは奪えないし 壊すこともない
世界はただ妬むばっかり
もしも彼らが君の 何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
それは、経済の浮き沈みにも他者の評価にも左右されず、自分自身の在り方に根ざすものです。
すべて君のもの 笑顔を見せて
本当の富はすでに誰もが「ありあまるほど」所有している。誰もがその存在に気づけるから、笑って、って優しい歌詞だなって思いました。
そのありあまる富は、命があってこそ個人が感じられます。
何故なら価値は生命に従って付いている
ここでも話してたのですが、人の価値は他人がつけるものではなく、消費できるとしたら自分自身しかいないと常々思います。
テストの点数、会社の評価、SNSでもなく。そう思っても体感できるまでに経験や時間がかかるかもしれませんが(私はかかりましたw)自分の価値を一生をかけて、消費していくのは自分しかできない、って最近よく思います。
この歌詞に重ねると、生命に付随する価値は「外部に証明されるもの」ではなく「生きる過程で自分自身が使い切っていく資源」のようにも捉えられます。
現代社会では「価値」はしばしば交換可能なものに矮小化されます。
しかしこの曲では、価値は最初から生に付随していると歌うことで、「市場が価値を決める」というのは、社会的幻想だと提示しています。
これは「人間の尊厳は成果や生産性に基づくものではない」という人権的な思想にも通じているのではないでしょうか。
命の価値を、人生の時間(限りある)面で捉えると「持ち続ける資産」ではなく「燃やすためにある燃料」とは解釈できます。
「価値の消費」は偶然に任せても起こります。時間を過ごし、体力を使い、感情を動かせば自然に減っていく。
私たちが私たち自身の「価値を認識する」とは、その消費を意識的に選ぶことにあると思います。
やることがまだはっきり決まっていなくても「自分は世界の中でどんなふうに人と関わっていきたいか」とか、「どんな言葉を届けたいか」みたいな、小さな思いや行動を、自分の人生と照らし合わせながら選んでいく事ができるんじゃないかなと思います。
人として生まれてきた以上、まったく他者と関わらずに生きていくのは難しくて、だからこそ、その関わりの中で見えてくるものも沢山ある気がします。
そして、選んだものの違いが、良し悪しではなく、それぞれの「個性」として形になっていくのかもしれません。
「自分を幸せにしなければ、他人を幸せにはできない」とよく言われます。
この言葉は、自己中心になれという意味ではなく、まず自分の内側にある「富」に気づいて大切にすることが、他者を尊重する土台になる、という事なんじゃないかなぁ~と思いました。
編集者:Yuka Fujimoto
Webディレクター。美大在学中に、画面ひとつで世界中の人と繋がれるWebの可能性やデザインへ興味を持つ。インターンを経て就職したIT企業で実務経験を積む。肉より魚派🐟
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