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CULTUREDIARY Edit : 2020.12.18 Update : 2023.07.13

メアリー・ダグラス「穢れと禁忌」から考える「抜け毛はなぜ汚い?」の問い

最近大学時代のノートを見返していたときに、「医療人類学」という授業が好きで、熱心に取り組んでいたことを思い出しました。
当時興味深かった問いのひとつに、「抜け毛はなぜ汚い?」というものがあり、その説明をすることがありました。

「穢れ」論

文化人類学者メアリー・ダグラス(1921~2007)は、「穢れ(けがれ)」について以下のように説明をしています。

「穢れ」の感覚は、物が本来あるべきところではなく、境界を越えて存在するときに生じる。

これは、彼女の著書『汚穢と禁忌』における「穢れ」論です。


例1) 食卓の上の靴、洋服についた食べ物など
→用途とは別の場所にある物


例2) 人体の境界部で開口部から出ていくもの
唾、乳、尿、大便、爪、汗、毛髪など
→体の内側にあるべきものが外側に出るとき
=「身体から離れた身体の一部は、日常から外れるもの=あるべきところにないもの」なので、「汚い」「不安」になるのだと思われる。


「抜け毛はなぜ汚い?」に対する回答

メアリー・ダグラスの「穢れ」論を用いて問いに答えると、本来「毛髪」として身体に属していたものが、身体から離れ「抜け毛」になることで、本来あるべきところではなくなると、境界を越えた存在になり、「汚い」という感覚になるというものでした。

境界を越えたもの、場違いなものは秩序を乱す可能性があるからこそ、タブー視され、穢れとみなされる。


こんな授業をふと思い出したのは、この「穢れ」の感覚を最近感じていたからじゃないかと思います。
コロナ生活になってマスクをするのが当たり前になった中で、例えば電車でマスクをしていない人がいると、なんとなく「あ、あの人マスクしていない」って思ったり、マスク警察と言われる人が出てきたり、実際に怒鳴っている人をみたり、、
私自身、予防って事もだけれど、人の目を気にしてとりあえずマスクするってこともあります。
深層心理でこのコロナ禍で、マスクをしてない人=秩序を乱す人=場違いな人とタブー視してしまっているかもしれません。

たぶん人が秩序を守ろうとするのは、そうすると安心だからだと思います。
秩序を守れば、場違いな人として警戒されないし、みんなが秩序を守れば安全が保証されるから。
だけどその人なりの当たり前や秩序を守ろうとするが故に、他人の個性に対してもタブー視が生まれて偏見に繋がると、安心できる社会からは離れてしまう事は矛盾を感じます。
・・ ちょっと何をまとめたくなったのか良くわからなくなってしまいました。
とにかく、この「穢れ」論を思い出したというお話でした。(笑)
 

Miki Kohinata

就活時代、企業で働きたくないがゆえに将来独立することを決めエンジニアの道へ。IT企業で藤本と運命的に出会いKOHIMOTO設立。目指すのは人の心に寄り添えるエンジニア。人生のテーマソングはWeekend by 5lack。